膳所城 (ぜぜじょう)
所在地 滋賀県大津市本丸町7 2014.4.30 2014.9.2
膳所城 (ぜぜじょう)
所在地 滋賀県大津市本丸町7 2014.4.30 2014.9.2
堀・塀
公園の復元門
公園にある城址碑
移築大手門(膳所神社)
北大手門(篠津神社)
南大手門(鞭崎八幡宮)
膳所城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内】 県道102号線「本丸町」交差点の西に膳所公園駐車場がある[マップコード148 572 079*78]。
東に膳所城跡公園となっており、模擬復元門や堀が残っている。公園中央の天守台跡に「膳所城」の石碑があり、園内に祠や戦没者慰霊塔が建てられている。公園から近江大橋や琵琶湖の景色が望める。現在は完全に陸続きとなった本丸跡は湖側に石垣がわずかに残っている。
本丸大手門は膳所神社(地図:大津市膳所1‐14‐14)に移築、北大手門は篠津神社(地図:大津市中庄1‐14‐24)に移築、南大手門は鞭崎八幡宮(地図:草津市矢橋町1462)に移築、現存しており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。
また、本丸南の二の丸跡は現在、膳所浄水場敷地となっている。
【歴史】 慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利し、名実共に天下人となった徳川家康は、翌年、東海道の押えとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。
膳所城は江戸城、大阪城、名古屋城など、江戸幕府が諸大名に号令し築いた天下普請の第一号である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎が行なった。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に四重四階の天守が築かれた。
慶長六年(1601年)築城に功績のあった大津城主・戸田一西(かずあき)を3万石で入城させ、膳所(ぜぜ)藩が成立した。慶長八年(1603年)一西の死去により、その子の氏鉄(うじかね)が後を継いだ。
氏鉄は元和三年(1617年)に摂津国尼崎藩に転封となった。代わって本多康俊が三河国西尾藩より入城した。その子、俊次は元和七年(1621年)再び西尾藩へ転封となった。
代わって、伊勢国長島藩より菅沼定芳が入城し、寛永十一年(1634年)丹波国亀山藩に転封となり、下総国佐倉藩より石川忠総が入城した。
子の石川憲之は慶安四年(1651年)に伊勢国亀山藩に転封となった。石川氏の後は再び西尾藩より本多俊次が7万石で入城した。
寛文二年(1662年)に起きた地震により建造物が倒壊し、俊次は城の大改修を行った。その後13代220年の間、本多氏の居城となり明治維新を迎えた。
明治三年(1870年)新政府の早期実現を望む藩士達により、廃城の太政官布告が出され、翌日より天守以下の建物の解体・移築が行われた。