臼杵城 (うすきじょう) (丹生島城・巨亀城・金亀城・亀城) (県の史跡)
所在地 大分県臼杵市臼杵91‐1 2013.10.12
臼杵城 (うすきじょう) (丹生島城・巨亀城・金亀城・亀城) (県の史跡)
所在地 大分県臼杵市臼杵91‐1 2013.10.12
二の丸から見た本丸・畳櫓・櫓門
堀・橋
復元櫓門
本丸空堀・石垣
卯寅櫓・卯寅稲荷
本丸鉄門跡
臼杵城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道33号線の南約120mの「臼杵市観光交流プラザ」(臼杵市臼杵100-2)の駐車場が利用できる[マップコード186 726 100*55](地図)。
入口は西の堀側(古橘口)、北側(今橘口)、東側(卯寅口)の三ヶ所があり、公園広場として整備され、本丸の西に土橋、空堀・石垣が残り、鉄(くろがね)門跡石垣が残る。
また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存し、卯寅稲荷神社が祀られている。
二の丸の東に、「臼杵護国神社」(表記番地)が建てられている。西の堀や石垣はよく整備され土塀・門が復元されている。卯寅口に門・塀が復元されている。
昭和四十一年(1966年)、大分県の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代の永禄五年(1562年)、府内大友氏館より拠点を移した大友宗麟により、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築かれた平山城(海城)である。
文禄二年(1593年)大友氏改易後、石田三成の妹婿である福原直高、太田一吉を経て、関ヶ原の戦いの後、慶長五年(1600年)に美濃国郡上八幡城より5万石で稲葉貞通が入封した。以降、明治維新まで、稲葉氏15代の居城となった。
廃藩置県後、天守以下建物は一部を残し取り壊された。周囲の海も干拓され、埋め立てられた。
本丸天守台の発掘調査によって、天守台石垣が文禄三年(1594年)から慶長五年(1600年)の間に築かれたものであることが判った。この時期は臼杵城天守が建造された時期と重なる。城には三重四階の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。