釜蓋城 (かまぶたじょう)
最寄地 長崎県雲仙市千々石町己723 2014.9.4 2019.12.10
釜蓋城 (かまぶたじょう)
最寄地 長崎県雲仙市千々石町己723 2014.9.4 2019.12.10
国道251号線より遠景
千々石中学校グランド・模擬櫓
千々石中学校南側公園
天守跡展望台・城趾碑
遣欧少年使節之碑
釜蓋城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道57号線に面したヤマト醤油(千々石町戊350)の東から北に行き、天満宮の参道を横切り天満宮(表記番地)裏を登って行くと、二の丸の千々石中学校グランド南の駐車場[マップコード173 700 848*70]に着く。
遊具のある公園の階段を登ると模擬櫓の展望台がある。
「天正遣欧少年使節・千々石清左衛門之碑」があり、城跡由来看板が建てられている。
【歴史】 永禄十二年(1569年)原城を築いた有馬貴純の一族で家臣の淡路守により築城された。 淡路守の子・千々石大和守直員が、父の跡目を継いだ。
天正五年(1577年)有馬氏と対立していた佐賀・龍造寺隆信の軍が千々石を攻めた。
当時、千々石と釜蓋城を守っていた千々石大和守直員(淡路守養子)は老臣木戸萬九郎と共に奮闘するも、有馬方援軍の遅れもあって、家臣とともに自刃した(享年25歳)。
天正遣欧少年使節の一人千々石清左衛門直員は釜蓋城主・千々石大和守直員の忘れ形見であり、天正十年(1582年)有馬家の代表として大村、大友の両大名から選ばれた少年使節と共に、万里の波濤を越えてローマ法王に謁見し、八年の歳月をかけて歴史的使命を果たした。