湯前城 (ゆのまえじょう)
所在地 熊本県球磨郡湯前町下城3280 2020.9.21
湯前城 (ゆのまえじょう)
所在地 熊本県球磨郡湯前町下城3280 2020.9.21
登城ルート(緑線は車道)
里宮神社
説明板
里宮神社北側の主郭・土塁
東側の内空堀
東側の外空堀
湯前城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 北を球磨川、南を都川に挟まれた標高226mの丘陵に築かれている。
本殿の背後に切岸があり土塁の残る主郭がある。また、南の石段を下り東に行くと長さ200mに及ぶ2条の空堀が良く残っている。
【案内】 「市房山神宮里宮神社」(表記番地)社務所前に参詣用駐車場がある[マップコード333 403 800*20]。
東側の少し高い境内に本殿があり、南側の休憩所横に説明板が建てられている。
【歴史】 『求麻外史』によると、東直政が居城していたが、永禄二年(1559年)獺野原(うそのばる:現多良木町黒肥地)の合戦で敗れ、翌年東能登が城主になったという。合戦の原因となった母と妻子を伴って人吉奉行・丸目頼美は湯前城に籠城していた。
文禄三年(1594年)相良氏20代長毎(ながつね:頼房改め)の朝鮮出兵中、犬童氏を滅ぼそうと謀ったとして、切腹を命じられた竹下監物が湯前城に籠って抗戦したが、敗れている。