下長谷城 (しもながたにじょう)
最寄地 高知県幡多郡三原村大字下長谷532 2021.3.10
下長谷城 (しもながたにじょう)
最寄地 高知県幡多郡三原村大字下長谷532 2021.3.10
登城ルート
登り口・説明板
畝状竪堀群
段郭・主郭切岸
主郭・城址碑
西側堀切
下長谷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高35m】
【感想】 三原村下長谷の長谷川の蛇行点に突き出た標高約160mの尾根東端に築かれている。主郭には城趾碑が建てられ、東斜面の畝状竪堀群や西尾根の堀切がよく残っている。
【案内】 県道21号線の表記番地先に天満宮があり、そこに駐車できる[マップコード276 554 127*47](地図)。
左手に説明板が建てられ坂道の10m先から右に登る(真っ直ぐ進むと民家に至る)。
少し登ると竪堀があり、それに沿って登ると畝状竪堀群があり、段郭の上に主郭がある。
主郭東側に城址碑が建てられ、西側に土塁があり、下方に堀切が残っている。
【歴史】 築城時期は不明だが、所領500石の大塚八木右衛門が城主とされる。八木右衛門は中村城主一条氏に仕え、天正二年(1574年)一条氏の家老ら(安並、羽生、為松)が謀り、主君一条兼定を豊後に追放したが、これを憤って加久見城主・加久見左衛門と共に兵を挙げ3家老を滅ぼした。
翌年一条兼定が中村に復帰を試み伊予法華津氏の支援を得て、栗本城に拠ったとき八木右衛門も馳せ参じ長宗我部元親軍と戦った。結果敗れて降伏し一命と領地は安堵されたが、数年後に亡んだ。