本郷城 (ほんごうじょう) (大場山城・古志城)
最寄地 広島県福山市本郷町3225−1 2021.9.18
本郷城 (ほんごうじょう) (大場山城・古志城)
最寄地 広島県福山市本郷町3225−1 2021.9.18
登城ルート(緑線は車道)
民家西の城山入口
三の丸・奥に二の丸本丸
本丸
本丸西側の大堀切(けぬきばり)
本郷城の移築城門
城主古志清左衛門豊長の墓地
本郷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 本郷川右岸の標高約144mの城山に築かれている。東西3つの郭が階段状に並び、二の丸は狭いが三の丸と西側の本丸は広い。
本丸西に井戸跡やドルが見られ、西背後に深い「けぬきばり」と呼ばれる堀切が残っている。本丸北側に石積みがあるようだが見落とした。
【案内】 周辺の道は狭く判りにくいが、本郷川東側に市道に「中屋」バス停があり向かいに車1台がやっと通れる橋がある。バス停南側のごみ置き場横が少し広く、そこに駐車した[マップコード48 494 319*05]。
橋を渡って本郷川西側の道を北に約160m歩き、表記番地手前を左に行くと城山の標識がある(地図)。
ゲートより西に200m程行くと分岐がありその右の山側に説明板が建てられ、登山口がある。ジグザグな山道が城山まで続き、急な斜面を登ると、三の丸南東に出る。
広い三の丸より階段状に二の丸、本丸が見えている。
昌源寺(本郷町919)には最後の城主古志清左衛門豊長の墓地があり、妙皇寺(本郷町513)には本郷城の城門が移築(復元)されている。
【歴史】 建保元年(1214年)大庭三郎景連が新庄の地頭として築城したという。大庭氏が12代にわたって居城とした。
その後古志正光より、不詳、豊清、豊綱、元清、古志清左衛門元網(豊長)に至る6代が居城とした。
永正九年(1512年)九月、大内氏の命を受けた毛利興元により攻め落とされるも、後に古志氏は大内氏と和睦し城主に復帰した。
古志清左衛門元網は、小早川隆景により三原城で謀殺された。天正十九年(1591年)古志氏は毛利氏により改易された。