静原城 (しずはらじょう)
最寄地 京都府京都市左京区静市静原町224 2019.7.7
静原城 (しずはらじょう)
最寄地 京都府京都市左京区静市静原町224 2019.7.7
登城ルート
登り口標識・静原神社
南西の段郭
3段目
主郭
主郭北西の堀切
2郭北の堀切
2郭・土塁
2郭南の段郭
静原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高260m】
【感想】 静原町の北背後の標高480mの城谷山に主郭があり、南東へ伸びる尾根先に2郭が築かれている。
主郭は石積みのある虎口があり、北東に腰郭がある。また南西、北西、南東尾根に段郭があり、北西尾根に堀切がよく残っている。
2郭北に高土塁、堀切があり、南に階段状の郭を配置し、石積の虎口などよく残されている。
【案内】 府道40号線より北に行った静原集会所(表記番地)東の静原神社前に駐車スペースがある[マップコード479 080 814*13]。
静原集会所左に案内図があり、少し先の阿弥陀寺手前右に登り口があり、標識が建てられている(地図)。
阿弥陀寺横を通って沢沿いに少し行き、右の尾根に登る(尾根の堀道にはS1~S8の消防団標柱あり)。
S8標柱の上に3段の郭があり最高所に主郭がある。石積みの虎口が見られ、北東と北西に曲輪がある。北西尾根に堀切が残っている。
南東尾根に所々ロープが張られ(K9~K4の消防団標柱あり)、三角点を過ぎ南に下ると、大堀切がある。
南に高土塁や段郭、石積虎口を備えた2郭がある(地図)。段郭を経て南東斜面にK3~K1の標柱を頼りにジグザグに下ると小屋のある畑跡に出た(地図)(マーキングもなくこちらから登るのは難しい)。
東に行って静原川の橋を渡り、集落を西へ行き神社前に戻った。
【歴史】 文明年間(1469~87年)小倉山城(左京区)城主・山本佐渡守尚親が支城として築いたとも、2代後の山本対馬守資幹が明応年間(1492~1501年)に築いたとも云われる。
記録上では室町時代の『兼右卿記』に、弘治三年(1557年)三好長慶(ながよし)が山城国50余郷に賦役を課して築城し、土豪山本氏が守備したとされる。
元亀四年(1573年)七月、織田信長により最後の将軍・足利義昭が京都から追放されたが、『信長公記』によると、天正元年(1573年)十月八日、織田信長の命を受けた明智光秀の攻撃を受け、3ヶ月の攻防の後落城した。