萩森城 (はぎもりじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県八幡浜市大平 2020.2.8
萩森城 (はぎもりじょう) (市の史跡)
所在地 愛媛県八幡浜市大平 2020.2.8
登城ルート(緑線は車道)
北側城跡遠景
3郭の虎口
3郭
2郭
主郭
房綱五輪供養塔
萩森城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 八幡浜市大平の標高202.6mの山頂に築かれている。3段になった3つの主要郭があり、主郭には鉄塔が建てられ南側は竹林となり、2、3郭はみかん畑になっている。北側尾根に堀切がある。
偶々お会いした古老の話では、萩森神社の背後のみかん畑と浄水場の間に石垣があるが、そこは城跡ではないとの事であった。
城跡から下る西側の道は極端に狭く、戻って集落のある北側の市道を利用したほうが良い。
【案内】 国道378号線より北側の市道を3.4km登ってヘアピンカーブに行き[マップコード204 187 179*73]、そこから南へ細い道を550m行くと萩森神社、「八幡浜浄水場」があり、神社の前に1台駐車できる[マップコード204 157 706*18]。萩森神社前に説明板が建てられている。
そこから南に行くと鉄塔のある最高所が主郭で北西側下段に3郭、北側中段に2郭がある。
戻ってヘアピンカーブ地点から北に100mゆくと房綱供養塔の案内板があり、そこから林道を約600m南東に行った右側に新しい「房綱五輪供養塔」が祀られている(地図)。
昭和三十六年(1961年)8月5日、八幡浜市の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代の天文年間(1532~55年)大洲地蔵ヶ嶽城主・宇都宮清綱は、領地を長男豊綱に譲り、3男房綱を連れてこの地に移った。房綱は西園寺十五将の一人で、知行高は矢野保の内25村5717石であった。
天正二年(1574年)一月十五日、長宗我部元親に内通した大洲城主宇都宮氏の家臣・大野直行(之)の軍勢が来攻し、落城した。