平清水城 ( ひらしみずじょう) (平清水北城) (平清水南城)
最寄地 奈良県奈良市平清水町426 2017.2.4 2018.7.11
平清水城 ( ひらしみずじょう) (平清水北城) (平清水南城)
最寄地 奈良県奈良市平清水町426 2017.2.4 2018.7.11
登城ルート
灯籠・北城入口
北城主郭
南側大手土塁
北城の空堀・土橋
梅本神社
南城の虎口状地形
平清水城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 北城は平清水公民館の北北東の比高約30mの丘陵にあり、搦手の土橋、空堀がよく残っている。大手は南側だが、放置された竹林の中にあり、踏査に苦労させられた。
南城は北城の南西約300mにあるが、西側のグランド工事などで、縁辺部をほんの一部残して消滅したと思われる。
【北城案内】 「平清水公民館」の北約50m先の左側、池の前に駐車できる。右側の灯籠のある道を登り(地図) 、民家と民家の間に通路があり、その先を右に折れ登ってゆくと主郭に出る。
主郭の南側は竹林、北側は畑跡となっている。東側に南北に土塁が残っている。虎口の東に空堀、土橋が残っている。
主郭より南に行くと、竹林の中に堀切があり、土塁が残っている。
【南城案内】 国道369号線の奈良交通「平清水バス停」から東に行くと、梅本神社参道がある[マップコード502 092 320*65](地図)。
梅本神社背後の尾根を登り詰めると、北西側はグランドのような低地で、右手(北東)の最高所(地図)に登ってみたが、特に目立った遺構は無い。戻って虎口状地形より尾根を南東に下ると左手の大きな民家に出た。
【歴史】 室町時代に平清水氏によって築かれた。平清水氏は、古市氏に従い、筒井氏の重臣・喜多氏の領地と隣接していたため、古市筒井両氏の争いでは常に最前線となっていた。
応仁元年(1437年)に起きた応仁の乱では、平清水氏は郡山南方の新木庄を横領して勢力を伸ばした。
須川城主簀川氏を中心にした国人は、国中に勢力拡大を図る筒井城主筒井順昭に敵対した。
天文十二年(1543年)、筒井順昭に須川城が攻められ落城し、その際、平清水城も攻められ落城したといわれる。