犬尾城 (いぬびじょう) (犬日城) (市の史跡)
最寄地 愛媛県宇和島市吉田町鶴間1507 2021.3.8
犬尾城 (いぬびじょう) (犬日城) (市の史跡)
最寄地 愛媛県宇和島市吉田町鶴間1507 2021.3.8
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・懐古の道碑
虎口
主郭
主郭南の石垣
犬尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 河内川と立間川が合流する地点の西にある標高126mの犬尾山に築かれている。
南北に細長い主郭と南の郭があり、高さ1m弱の石垣がⅬ字形に残っており、駐車場も郭と思われる。
【案内】 「宇和島市 ふれあい健康センター」(表記番地)東より[マップコード176 394 075*77]、舗装道が犬尾城跡北側まで通じている[マップコード176 364 565*63]。
駐車場横に「犬尾城 懐古の道」の石碑が建てられ、南に東屋があり少し登ると主郭がある。主郭南側に一段下がって郭があり、主郭との間に石垣が残っている。
昭和五十四年(1979年)3月26日に当時の吉田町により町指定史跡となった。
【歴史】 築城年代は不明だが、鎌倉時代中期以降に伊予国に入った西園寺氏配下の武将・法華津(清家)氏が築城したと伝えられ、西園寺氏の出城として機能した。
法華津氏が、新たに法華津本城を築城しこれに移ると、石城と共にその支城となった。
天文十五年(1546年)、豊後・大友氏の伊予侵攻に備え、西園寺氏の命により大森城主・土居清宗が石城に入り、犬尾城の守備を子の土居宗実・宗信に当たらせた。
永禄元年(1558年)以降激化した大友氏の攻勢に対し、土居勢はよく守ったが、永禄三年(1560年)9月22日に落城した。