八百里城 (やおりじょう)
最寄地 兵庫県丹波篠山市瀬利671 2020.5.4
八百里城 (やおりじょう)
最寄地 兵庫県丹波篠山市瀬利671 2020.5.4
登城ルート(緑線は車道)
稲荷神社から登る
稲荷神社
10段目の平坦地
3郭より2郭切岸
2郭
主郭
八百里城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 丹波篠山市瀬利にある標高442mの八百里山に築かれている。
山頂の主郭を中心に南東尾根に10段、北西尾根に3段ほどの階段状の曲輪が並んでいる。2、3郭は樹木が伐採され見易くなっていた。北西尾根の大堀切は見落とした。
【案内】 県道301号線より北に行った表記番地手前に城址碑が建てられ、60m程北の左側に駐車できる[マップコード641 000 681*43]。
城址碑の所から西に登った稲荷神社鳥居から登る(地図)。フエンスに沿って登り途中の扉より尾根に登る。尾根を約100m行くと「八百里稲荷神社」がある。
そこから尾根の道を登ると、2段、1段、4段の階段状の郭が続いており、その上に3郭、2郭、頂上に主郭がある。主郭の西にも郭があり、尾根に堀切がある。
【歴史】 南北朝時代の貞和五年(1349年)頃には、丹波守護細川満元の弟満国・その子持春が築城し下野氏を名乗ったという。
永正年間(1504~21年)波多野氏が丹波守護代となった頃は、畑宗右衛門忠綱が城主となっていた。
天正七年(1579年)明智光秀の丹波侵攻により攻められ、城主畑守能は落ち延び後に高野山に入ったが、長男守国と次男能国はともに討死した。