甘崎城 (あまざきじょう) (天崎城・古城・荒神城) (県の史跡)
所在地 愛媛県今治市上浦町甘崎 古城島 2014.5.15 2020.5.8
甘崎城 (あまざきじょう) (天崎城・古城・荒神城) (県の史跡)
所在地 愛媛県今治市上浦町甘崎 古城島 2014.5.15 2020.5.8
登城ルート
階段から見た海割れ
南西側石積
南側石積
東側の柱穴
南側(左の樹木の中を登る)
頂部南の主郭
北の郭
甘崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 大三島にある今治市上浦町甘崎地区の、沖合約170mの南北に細長い標高17.5mの古城島に築かれ、3つの郭で構成されている。
北側の郭は鷺の生息地で、樹上に巣があり糞まみれであった。中央の1m程下がった鞍部郭の南に主郭があり、三角点が設置されている。全体的に樹木が多く鬱蒼としていた
東側の岩場に係留に利用された柱穴が多く見られ、南側にはL形の石垣が残っている。
また南西側に広い面積のコの字形の石積みが残っている(ここにあった土砂は長年の波に洗われ、流出したものと思われる)。
地元では大潮の海割れはよく知られており、多くの子供連れの潮干狩り客が訪れており、賑わっていた。話によると牡蠣が獲れるのだそうだ。
【案内】 しまなみ海道「大三島IC」より国道317号線に入り、南に約900m行った所に「甘崎城跡・海上160m→」の標識が建てられ、その横の空き地に駐車した[マップコード154 261 858*10](地図)。
そこから東に行くと堤防に案内板が建てられ、階段が設けられている。250mほど北側にも降り口がありその中間付近から大潮の時、海割れの砂地が現れる。
潮見表(来島)が大潮の時を狙って向かう(今回は16時23分に-7㎝で、来島より20分ぐらい遅いようだ)。
大潮になる30分前から水深10㎝位の凸凹のない砂地となり長靴で歩くことが出来る。
昭和五十一年(1976年)年4月16日、愛媛県の史跡に指定された。
【歴史】 13世紀の元寇をきっかけとして、海武士の取り締まりから一転、海上交通の取り締まりをする役割を与えられ、南北朝時代から戦国時代にかけては村上水軍が東から下って来た船舶を捕捉して積荷を改め、通行税を徴収する拠点となり、この税を生活の糧としていた。
海賊停止令が出た後の十七世紀末にも当城はドイツ人に記録され、認知されるに至っている。
歴代城主は、三島村上水軍時代では、来島村上氏の四代村上通康、その後を家臣の村上吉継(十六世紀前半)、豊臣秀吉が瀬戸内海の覇権を握ると藤堂高虎の属城となり、その従弟・藤堂良勝が城主となった。
慶長十三年(1608年)藤堂高虎の移封によって、廃城となった。