別府城 (べっぷじょう) (加世田城)
最寄地 鹿児島県南さつま市加世田武田17917 2018.12.12
別府城 (べっぷじょう) (加世田城)
最寄地 鹿児島県南さつま市加世田武田17917 2018.12.12
西側石段・説明板
説明板
旧加世田小学校の校門
別府城趾の碑
北側
別府城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 南さつま市加世田武田の加世田川の左岸の台地にあったが、現在は城跡を半分の高さに崩した尼ケ城公園となっており、遺構は消滅している。
【案内】 国道270号線より南に行った表記番地東の台地に尼ケ城公園があり、東側に駐車場が用意されている[マップコード198 578 078*60]。
明治36年から53年間加世田小学校が置かれ、昭和37年別府城を崩し校門付近は半分の高さとなった。
【歴史】 平安時代末期、平氏の一族・別府五郎忠明は別府城を築き、加世田支配の拠点とした。
応永二十七年(1420年)別府氏は、島津家に降り、薩州家島津氏が加世田の城主となった。
その後、別府城主島津実久は宗家に謀叛を起こし、天文八年(1539年)正月島津忠良(日新公)は別府城を攻略し、以後加世田は薩摩藩の直轄地になった(加世田別府城の戦い)。