野田城 (のだじょう)
最寄地 和歌山県西牟婁郡上富田町岩崎792 2022.5.2
野田城 (のだじょう)
最寄地 和歌山県西牟婁郡上富田町岩崎792 2022.5.2
登城ルート(緑線は車道)
登り口・道標(黄色)
主郭(南より)
南の郭
南側横堀
野田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 富田川右岸の標高42mの独立丘陵に築かれている。
主郭は笹薮で覆われていてはっきりしないが縁辺に溝が残り、南側に開けた平坦地があり、横堀が見られた。
【案内】 国道42号線より紀勢本線を渡り紀勢自動車道手前を左折する[マップコード184 049 673*34]。
表記番地前を西に行き、墓地の駐車場を利用した。
墓地南の道路に面して登り口があり、黄色い道標が建てられている。
そこから虎口まで山道が通じている。
【歴史】 天正十三年(1585年)秀吉の紀南征討の一隊である杉若越後守の率いる上方勢は、朝来大内谷に陣を張り、最前線の砦として塗屋城と共に南からの攻防のために、富田川の渡河地、野田に急遽築城したようである。そのために古記録類に「城主知不申候」とあるのもそのためであろう。
一説に応永年間(1394~1427)、地侍の野田冶部太夫氏尚(氏尚の曽孫の貞左太殿の時という説もある)の築城という伝承もあるが、史料的に不足する。『上富田町文化財教室シリーズ』より。