三瀬城 (みつせじょう)
所在地 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬 2018.5.3
三瀬城 (みつせじょう)
所在地 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬 2018.5.3
登城ルート(緑線は車道)
トンネルから北東へ
堀切
2郭土塁の石積
虎口・主郭
主郭・土塁・石祠
主郭北側土塁の石積
三瀬城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m(駐車場より)】
【感想】 佐賀市三瀬村三瀬の背振山地にある標高671mの山頂に築かれており、2郭の石積を施した土塁、竪堀が残っている。
主郭には石祠が祀られ、周囲に土塁がめぐり、石積みが部分的に残っている。
【案内】 国道263号線から東へ林道を約650m行くと右側に駐車場が用意され説明板が建てられている[マップコード224 139 540*28](地図)。
林道を潜って北東へ歩行距離約770mを登ってゆく。2郭は南北に細長く、虎口、西側の石積を施した土塁が残り、東側に竪堀が残っている。
大手の坂虎口を登ると、周囲に土塁を巡らせた主郭がある。東側に搦め手虎口があり、背後に堀切が残っている。
【歴史】 築城時期など定かでないが、戦国時代後半、野田土佐守宗利(後に三瀬氏を名乗る)が居城として整備したといわれる。
その後、三瀬氏から支配権を譲られた神代(くましろ)大和守勝利が要害として改造し、佐賀平野に下って五州の大守といわれた龍造寺隆信と激戦を繰り広げた。
勝利の死後、子の神代長良が後を継ぎ、敵対していた龍造寺氏と和睦し、更に鍋島氏の家臣となり、この地を離れた。
江戸時代には佐嘉郡川久保・小城郡芦刈の領主となり、神代氏は佐嘉藩の重臣として仕えた。