前田東城 (まえだひがしじょう)
最寄地 香川県高松市前田西町193 2017.12.11
前田東城 (まえだひがしじょう)
最寄地 香川県高松市前田西町193 2017.12.11
空堀跡
入口・左は昭和池
空堀跡
推定地
前田東城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 『香川県中世城館跡詳細分布調査報告書』で前田城の東側に発見したと報告されている城跡で、城主は十河存保と推定されている。
北側は川(現在は昭和池)が流れ、西は空堀で隔て、東と南は崖となっており、城跡の雰囲気が漂う。
【案内】 県道42号線より細い道を北に行った長妙寺(表記番地)に駐車できる[マップコード60 464 548*13]。
長妙寺東の道を北に100m右に行くと空堀が見えてくる。その東の台地が前田東城の推定地とされている。藪化しており一部畑として利用されている。
【歴史】 天正十二年(1584年)六月十河城と虎丸城は、長宗我部元親により落城、十河存保(そごうまさやす)は大坂の羽柴秀吉(豊臣秀吉)を頼って落ち延びた(第二次十河城の戦い)
天正十三年(1585年)六月、十河存保は豊臣秀吉の四国攻めに協力し、旧領である讃岐十河3万石を秀吉より与えられて大名として復帰した(四国国分)。このとき、前田東城が築かれたと推定されている。
しかし存保は、天正十四年(1586年)秀吉の九州征伐に従った際、軍監・仙石秀久の無謀な作戦に巻き込まれ、島津家久との戸次川の戦いにおいて戦死した。存保の死により領地は没収され廃城となり、存城が短期間であった為記録が残されていないのではと思われる。