青山城 (あおやまじょう) (形山城)
最寄地 山口県下関市田倉113-4 2016.5.17
青山城 (あおやまじょう) (形山城)
最寄地 山口県下関市田倉113-4 2016.5.17
登城ルート
入口標識・橋
南東車道下の 虎口石垣
NTT勝山無線中継所
西側石垣
西側横堀
青山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高240m】
【案内・感想】 勝山御殿の駐車場が利用できる[マップコード557 671 268*24]。道路を500mほど戻って右折するとすぐ表記番地向いに橋があり、「青山登山入口」の標識がある。
その先の登山口(地図)より「老人ホームしゃくなげ園」北を登り、道標に従い登ると送電線鉄塔の下に出る。右側より登ると、道がはっきりしないが、直登する形になる。尾根に出ると標識があり、左に登ると間もなく、舗装道路に出る。舗装道路(一般車両通行不可)を右(反時計回り)に登る。
標高288m比高約240mの頂上主郭跡には、NTT勝山無線中継所が建てられ、フエンスで囲まれ立入りは出来ない。説明板が建てられ、その手前を少し下ると、石垣・横堀・竪堀などが良く残っている。
取材中の教育委員会の方が居られ、もう一ヶ所の石垣を親切に教えてもらった。標識は無いが、道路を戻った南東側のガードレール切れ目の下に虎口石垣が良く残っていた(地図)。
【歴史】 青山は、勝山の南の尾根続きとなっている。築城年代は不明だが、高森正倫が城主の時、大永七年(1527年)に、近接する勝山城の城主内藤興盛との間に諍いが起きた。
高森氏は津原膳勝や津田興輝らの加勢を得て1万2千の軍勢で勝山城を取り囲むも、内藤氏には大内氏が加勢して3万5千の大軍となった。逆襲に転じた内藤勢は、青山を攻め落とした(勝山青山の戦い、青山くずれ)。
その後永禄年間(1560年頃)に、大友氏への備えとして毛利氏が修改築したと考えられている。