久礼城 (くれじょう)
最寄地 高知県高岡郡中土佐町久礼7753 2020.12.11
久礼城 (くれじょう)
最寄地 高知県高岡郡中土佐町久礼7753 2020.12.11
登城ルート(緑線は車道)
津波避難階段より西へ
2郭
主郭西・土塁・社
主郭南西の畝状竪堀
3郭・土塁
主郭南の5重堀切
主郭南東の堀切
久礼城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高80m】
【感想】 長沢川右岸の標高100mの城山に築かれている。
2郭、主郭、3郭の主要郭が東西に並び、主郭はへの字形に屈曲し土塁が巡り西側は一段高くなっている。
各所に土塁や石垣があり3郭との間の空堀や畝状竪堀、南尾根の5重になった堀切、南東の堀切など見所は多い。
【案内】 国道56号線の長沢川北を西へ行き大きく左折し、国道下を潜り右折して再度国道の跨道橋を渡ると、新しい久礼保育所があり、北側下段に駐車場がある[マップコード362 597 186*42](工事中で表示などそのうち付けられると思う)。
その先から津波避難路階段を登り、保育所の西の尾根に登る(避難路にしては鍵が掛けられていた)。尾根の遊歩道を反時計回りに行くと、久礼中学校(表記番地)体育館裏の階段からの道に合流し、南に行くと2郭に着く。
2郭の南側に石積の土塁があり、堀道を通ってやや屈曲した広く細長い主郭に着く。主郭は土塁が巡り、西側に社があり一段高くなっており、石垣が残っている。
西側に空堀、3郭がある。空堀から南に行くと畝状竪堀、5重となった堀切が見られる。また主郭南東にも2段の堀切が残っている。
【歴史】 承久三年(1221年)承久の乱の時、佐竹信濃守と後藤基之が地頭として入部したのが始まりで、南北朝時代に城主佐竹氏は北朝方として戦った。
戦国時代に入ると中村城の一条氏の配下となった。
元亀二年(1571年)佐竹信濃守は長宗我部氏の軍門に下り、以後久武氏等と共にその配下で転戦した。