馬谷高嶽城 (うまだにたかだけじょう) (馬谷城・高嶽城)
所在地 島根県益田市馬谷町/岩倉町 2022.11.8
馬谷高嶽城 (うまだにたかだけじょう) (馬谷城・高嶽城)
所在地 島根県益田市馬谷町/岩倉町 2022.11.8
登城ルート(緑線は車道)
縄張り図(右が北)
登山口
振り返った2重堀切
主郭・標識
南1の郭
南1の郭南の堀切
南2の郭
南3の郭
南3の郭南の大堀切
馬谷高嶽城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高260m】
【感想】 馬谷町と西の岩倉町に跨る標高460mの城山に築かれている。
屈曲した山頂の西から東に曲輪があり、東側が高く主郭となっているが笹などが多く、はっきりしなかった。
北尾根の2重堀切や南尾根の曲輪、3条の堀切など見所は多いが放置され鬱蒼としていた。
当初北西の民家側から犬にしつこく吠えられ、登山口に着いたが、帰りは車道を下って市道の標識のある所に出た。登山口に行くにはこちらを薦めたい。
【案内】 北東の市道に高嶽城登山入口の道標があり[マップコード277 229 101*17](地図)、車道を南西に行き、分岐を右に行くと登り口に着く (地図)。
徒歩の場合は北の市道に民家に向かう入口があり[マップコード277 198 888*02](地図)、民家前を過ぎて左に下り、右に登ってゆくと同じ登り口に着く。
そこから1.2kmの尾根道を延々登ってゆくと、2条の堀切を経て西側の郭に着く。西側は薮状態で、東に行くと山口神社跡、主郭がある。そこに縄張り図が建てられている。
中間から南に下り少し行くと広い平坦地があり、南に堀切がある。
更に南に細長い平坦地、堀切、平坦地、深い堀切と配置されている。
【歴史】 寿永四二年(1185年)壇の浦で敗れた平家の一族・平宗範は益田兼高に捕えられたが、赦され馬谷に住んで高嶽城を築いたといわれる。
元亀二年(1571年)安芸の毛利氏によって石見が平定された際、高嶽城主杉森氏久は叔父・杉森下総守が毛利氏によって攻め滅ぼされたことを恨み抵抗していたが、益田藤兼に攻め落とされたといわれる。