富江陣屋 (とみえじんや)
最寄地 長崎県五島市富江町狩立464 2014.9.5
富江陣屋 (とみえじんや)
最寄地 長崎県五島市富江町狩立464 2014.9.5
位置図(緑丸は説明板)
富江中学校北側土手・看板
陣屋略図(小学校北西角)
陣屋跡・富江中学校グランド
実相寺山門
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 五島市立富江中学校(表記番地)北側のグランドとの間にある土手に陣屋配置図(地図)が掲示してある。
陣屋跡地は富江中学校グランドと北の宅地となり、遺構は残っていない。20m東に隣接する富江小学校北東に石塁が残っているが、陣屋以外の遺構と思われ、大手に陣屋略図が建てられている[マップコード334 107 303*30]。
北側には米などを貯蔵した石蔵が残っている。
大手門は実相寺(五島市富江町狩立4)の山門(地図)として移築され現存する。
【歴史】 富江陣屋のある地は当初、戸の島(殿浦)と呼ばれていたが、寛永五年(1628年)富江に改められた。
寛文元年(1661年)、五島盛清は宗家である福江藩の五島家より三千石を分知されて富江藩が立藩され、翌寛文二年(1662年)富江陣屋が築かれた。
富江五島家は、表高家・交代寄合(参勤交代を行う旗本)として八代続き、明治維新を迎えた。