廻城 (めぐりじょう) (仁田尾城)
所在地 鹿児島県霧島市福山町福山 2018.12.13
廻城 (めぐりじょう) (仁田尾城)
所在地 鹿児島県霧島市福山町福山 2018.12.13
登城ルート
入口・標識
駐車場跡
島津忠将の供養塔
1番目の空堀
2番目の空堀
1段目の郭
3段目の郭
廻城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 霧島市福山町福山の錦江湾を望む標高278.9mの丘陵先端部に築かれている。
空堀や土塁が残っており、その先の下段に曲輪が3段残っている。日没のため行っていないが、その北西の平坦地も地形的に城跡と思われる。
個人所有で、以前、観光目的で駐車場が使われたと思われる。
【案内】 国道220号線より県道478号線に入り約3.8km東へ行ったカーブに「廻城跡⇒」の標識がある[マップコード216 309 176*51]。
そこから約300m北西に砂利道を行くと、駐車場跡がある(地図)。
その奥に「廻城本丸跡地・登山路⇒」の石碑が建てられ、左側に離れて宝篋印塔(昭和59年4月末裔建立)がある。
登ってゆくと空堀が2条あり、土塁上に三角点がある。その北に低くなって3段の郭がある。
【歴史】 平安時代後期に廻氏により築城されたと云われる。
永禄四年(1561年)、肝付兼続は廻氏15代久元が盲目となり、また子の頼員が幼いことにつけ込み仁田尾城を奪取した。
島津貴久は、同年廻氏奪還のため忠将と長子の島津義久を向かわせた。この攻城戦で貴久の弟島津忠将が戦死した。
その後、弟を討たれた貴久は自ら軍を率い出陣し兼続を撃退、廻城を奪還している。忠将が討ち取られた場所には供養塔が建立されている。