柳生古城 (やぎゅうこじょう)
最寄地 奈良県奈良市柳生下町397 2018.7.11
柳生古城 (やぎゅうこじょう)
最寄地 奈良県奈良市柳生下町397 2018.7.11
登城ルート
登り口
2郭南の堀切
2郭西の横堀
2郭と主郭(奥)間の堀切
主郭・四阿
主郭背後の堀切
2番目の堀切
柳生古城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 奈良と月ヶ瀬を結ぶ柳生街道と笠置へ向かう街道の交わる要衝の標高136mの山頂に築かれている。クランクした空堀や曲輪を隔てる堀切が4条ほどよく残っている。
【案内】 県道4号線の柳生集落の交差点を少し東へ進むと遊歩道入口がある[502 219 680*73]。駐車スペースは少なく、東側の窯元柳生堂(表記番地)先のカーブ左に駐車した。
南の曲輪(2郭)の手前に堀切があり、西側のクランクした空堀につながっている。堀切を挟んで北に主郭があり、四阿が建てられ土壇上に「剱塚」が祀られている。
主郭背後に2条の堀切がよく残っている。
【歴史】 築城年代は定かではない。元弘元年(1331年)後醍醐天皇が笠置城に移り鎌倉幕府討幕の軍を起こした時、討幕軍に参じた柳生永珍(ながはる)が築いた城とも伝えられる。
その後、柳生氏は大和・山城の諸勢力に翻弄されながら家重、通永、家宗、光家、重永、家厳(いえよし)と続いて石舟斎宗厳(むねよし)に至る。