新納石城 (にいろいしじょう) (亀城)
所在地 宮崎県児湯郡木城町石河内1333 2016.5.15
新納石城 (にいろいしじょう) (亀城)
所在地 宮崎県児湯郡木城町石河内1333 2016.5.15
登城ルート(緑線は車道/緑丸は下城)
石碑・心字池・上城跡
上城跡
下城跡
鍬入れの碑
新納石城 上城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 伊東48城の一つ。県道22号線より左折、小丸川に架かる「中八重橋」を渡って「ピノッQパーク」横より南に約1.4km行くと「日向 新しき村」の石碑が建てられ、駐車スペースがある[マップコード219 454 479*65]。
その先の心字池から左側の畑一帯が上城跡とされる。また豚牧場などとなっており、建物が一軒ある。
中央の道を南に行き左に下ってゆくと、下城跡(地図)の平坦地が広がり奥に「鍬入れの碑」(昭和43年(1968年) 武者小路実篤)の石碑が建てられている。
碑文は「此處は新しき村誕生の地なり すべての人が天命を全うする事を理想として我等が最初に鍬入れせし處は此處也」と刻まれている。
【歴史】 伊東48城の一つ。南北朝時代から戦国時代中頃の山城で別名を亀城と呼ぶ。
天正六年(1577年)八月一日、日向に侵攻してきた大友氏の家臣木上宗閑が、長倉祐政ら伊東氏旧臣の牢人衆が城に押し寄せた島津勢を撃退したことを報じ、大友氏本軍に石城確保の援軍を要請した。