下垣内城 (しもがいとじょう)
最寄地 奈良県生駒郡平群町若井345 2016.4.24
下垣内城 (しもがいとじょう)
最寄地 奈良県生駒郡平群町若井345 2016.4.24
多目的広場
城跡埋設碑
下垣内城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 平群中央公園(表記番地)の東の「多目的広場」となっている。公園化に伴い、発掘調査の上、埋設保存され見ることはできない。休憩施設の中央に遺跡埋設の碑があり、図と説明が銅板に記されている。同じ公園内に西宮城跡がある。
【発掘調査・歴史】 当初は単郭の城と考えられ、地名をとって下垣内城と名付けられた。発掘調査で西に広がることが確認され、東西150m南北120m以上の城郭であることが分かった。
深い堀や土塁で囲まれ、石組みの溝や穴が確認され、出土遺物より13世紀に築城、17世紀にかけて使用された。中央の南北の堀は特に深く、土塁の上から8mもあり急こう配で掘削されていた。
城主は鎌倉時代に、富貴寺荘の下司職であった嶋氏が考えられる。すぐ東隣の安養寺に嶋左近の母の位牌があり、郡山の筒井順慶に仕え、後に石田三成の参謀として関ヶ原の戦いで活躍した左近との関係が注目される。『中央公園・下垣内城と廿日山弥生遺跡』説明文。