古麓城(飯盛城)(ふるふもとじょう(いいもりじょう))
最寄地 熊本県八代市古麓町865 2020.9.21
古麓城(飯盛城)(ふるふもとじょう(いいもりじょう))
最寄地 熊本県八代市古麓町865 2020.9.21
登城ルート
農道入口
北側の堀切
出丸北側の石垣
北の郭の列石
南の郭
南尾根の堀切
飯盛城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 球磨川右岸の標高186mの山頂に築かれている。
南北に細長い郭は名和氏時代の主城らしく相当の広さがある。南尾根の堀切もよく残っている。
出丸から北の堀切までは蜜柑畑となっており、フエンスが複数巡らされ、進路を阻んでおり、特に収穫時期は避けた方が良い。
地理院地図で上流に道が描かれており、そこから鉄塔へ登れるかもしれない。
【案内】 県道158号線の古麓川手前を左折し、市道を川に沿っていった南九州道高架の先左に駐車スペースがある[マップコード 128 256 106*85]。
表記番地先の橋の手前から右の山に登る農道があり、終点から集荷用モノレールに沿って登って行く。ただし蜜柑の収穫時期は避けた方が良い。
フエンスが畑にあり、それらを躱して3段の畑を過ぎると、堀切に着く(地図)。
そこから先が城域と思われ、集荷用モノレールに沿って登ると蜜柑畑が続き、その端に畑用か城跡か分からないが石垣があり、さらに登るとフエンスがあり、そこから出丸の鉄塔が見えている(地図)。フエンスの破れているとこから何とか入ると、出丸に着き、いったん下って再度登って行くと、段郭を経て北郭に着く。
北郭の中央付近に列石があり、鞍部の郭を経て南の郭に至る。下った南尾根には一条の堀切が見られる。
【歴史】 建武元年(1334年)から文明十六年(1484年)までの名和氏時代は、飯盛城を主城として丸山城・鞍掛城・勝尾城・八丁嶽城(標高376mの八丁山山頂)の5城にて構成されていた。