亀山城 (かめやまじょう)
所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 2013.10.11 2021.4.13
亀山城 (かめやまじょう)
所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 2013.10.11 2021.4.13
登城ルート
入口
通路左側の堀切
3郭・2郭切岸
2郭
主郭・落城四百年碑
主郭北側の腰郭
亀山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 岩戸川が大きく蛇行する所に突き出た半島状地形の標高362mの台地に築かれている。
3つの主要郭と段郭、腰郭などから構成され、西側に堀切が見られる。また切岸がよく残っている。
水田にも堀があったようだが埋められたと思われる。
【案内】 国道218号を北に分れた県道7号線の天岩戸神社へ向かう途中の岩戸川が蛇行する西の丘陵にある。県道7号線の「天岩戸直売所」の信号交差点を大きく右折し400mほど南下する[マップコード330 777 813*70](地図) 。
左折、農道の行き止まりに駐車し、東に登ると、北・東・南は断崖で西に堀切があり、登ると3つの曲輪がある。主郭には祠や「落城四百年碑」、由来説明看板が設置されている。
【歴史】 高千穂は代々三毛入野尊の子孫と伝えられる三田井氏が治めていた。
隣国の大神氏が勢力を広げ、十世紀半ば豊後介・大神惟基の長子・政次が高千穂太郎として高千穂郷に入り、以来領主として平和郷を構築してきた。
14世紀に至り本家は高千穂氏から三田井氏となり、郷内は一族重臣が分居して治めた。16世紀の頃、この地は三田井氏に属する富高(とたか)氏が支配し高千穂四十八塁の一つとして亀山城を築いた。
天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後の国割により高千穂郷は延岡藩(延岡城)主・高橋元種の支配地となった。
反抗する三田井氏に対し、天正十九年(1591年)九月高橋軍は総攻撃をかけ、亀山城主・富高弥十郎長義は数十人の家臣と共に迎え撃ち、善戦するが野方野口からの砲撃により落城した。
この時家老藤田左京は城主一族を脱出させ自刃したという。城山の見える高台に佐京を偲び佐京大明神社が建立されている。