西鯵坂城 (にしあじさかじょう)
最寄地 福岡県小郡市下西鯵坂272−2 2020.3.13
西鯵坂城 (にしあじさかじょう)
最寄地 福岡県小郡市下西鯵坂272−2 2020.3.13
説明板
城公民館
城公民館の西鯵坂城趾の碑
城跡中心地付近の南東の墓地
西鯵坂城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 小郡市下西鯵坂の宅地となっている。大樟は途中から伐採され、犬に吠えられ、石の祠も見つからなかった。
航空写真で見ると、城公民館から南の一帯が城跡に見え、北の道路に面して土塁が見られた。
【案内】 県道738号線より西に行った「城公民館」(表記番地)の前に説明板、城跡碑が建てられている[マップコード37 712 486*17](地図)
「ここから東南200mばかりの所、大樟の下に小さい石の堂が建っている。ここが城の中心地で、…」と記されている。
【歴史】 『筑後志』に「筑紫上野介家宗が拠りし所なり 縦六十間横二十間の平城なり」と記されている。
戦国時代末期、薩摩の島津義久は、九州を征服しようと軍を進め、筑後川を渡って岩橋麟迦(りんが)の居城古賀城を落として、西鯵坂城に押し寄せた。
城主宗統家が死守したが、大軍の前に全滅した。島津軍はなお北上し岩屋城の高橋紹運を攻め滅ぼした。