島城 (しまじょう)
最寄地 京都府南丹市美山町静原狐段30 2019.7.8
島城 (しまじょう)
最寄地 京都府南丹市美山町静原狐段30 2019.7.8
登城ルート
沢の先を右へ
作業道の右へ
2郭切岸
2郭
主郭西の堀切
主郭
島城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 由良川とその支流棚野川に囲まれた、標高403.7mの城山に築かれている。
4つの主要郭と段郭から構成され、堀切や切岸がよく残っている。
【案内】 国道162号線より「歓楽寺」(表記番地)西の道路を南へ150m程行くと左に説明板が建てられている[マップコード282 067 571*24]。そこに駐車可能である。
土手を横切って道を東に行き、60m先から右へ進み、民家裏から沢の左を進む(地図)。
約100m沢沿いに行くと、丸太を並べた橋があり、そこを右に山の斜面を登る。この辺からマーキングがあり、山道ははっきりしており迷う事はない。作業道を突っ切って登ると、再び作業道に出る。
作業道をくねくね登り最終カーブから右の尾根下を登ってゆくと、堀切のある4郭に着く。
南へ登ると2郭で、説明板が建てられている。南に下ると3郭で、東に登ると堀切や段郭を経て主郭に着く。
【歴史】 野々村荘を支配した秦河勝(はたのかわかつ)を祖とする川勝氏は、室町時代には足利氏に従い、川勝広継は桑田郡今宮に住んで、今宮城を居城とし、12代将軍足利義晴、13代将軍足利義輝に仕えた。
戦国時代、天文年間(1532~55年)頃に美山町静原の島城を築き本城とし、八木の守護代内藤氏、京北の宇津氏、篠山の波多野氏など、丹波国の勢力と対峙した。
その後、織田信長や豊臣秀吉に従い、後には徳川氏に仕えている。