仁宇城 (にうじょう) (和食城・仁宇山城)
所在地 徳島県那賀郡那賀町和食郷南川 2017.9.21
仁宇城 (にうじょう) (和食城・仁宇山城)
所在地 徳島県那賀郡那賀町和食郷南川 2017.9.21
蛭子神社・ 門・大杉
蛭子神社
東側土塁
大楠公之像
仁宇城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 那賀川右岸の台地にあり、蛭子神社境内となっている。東側に土塁が残っている。
【案内】 国道195号線より札所大龍寺ロープウェイ乗場に向かう那賀川手前の蛭子神社となっている[マップコード217 360 677*86]。
東側に土塁が残り、北東が高くなっている。空堀が那賀川の方へ伸びている。阿波は南朝方が多く、これを偲ぶため「大楠公之像」が建てられている。
徳島県発行の遺跡分布地図では、蛭子神社を「和食城」、西方の遺構を「小仁宇城」としている
【歴史】 築城時期など定かでないが、天正年間(1573~92年)、湯浅対馬守(藤原兼時)の居城であった。
天正十三年(1585年)蜂須賀氏が入部した直後、湯浅氏を首謀者とする仁宇谷衆は一揆を起こすが鎮圧された(仁宇谷一揆)。
仁宇城は阿波九城のひとつの支城として整備され、一揆を鎮圧した重臣山田宗重を城代とし、5000石を所領とした。
一国一城令により寛永十五年(1638年)に廃城となった。