内牧城 (うちのまきじょう)
所在地 熊本県阿蘇市内牧267-7 2018.5.4
内牧城 (うちのまきじょう)
所在地 熊本県阿蘇市内牧267-7 2018.5.4
阿蘇公民館
城跡碑(文字盤の下部のみ残る)
市立体育館
公民館北の古川旧河道
二の丸・石垣
内牧城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 阿蘇市内牧にあり、南側の黒川と北側を蛇行する古川を天然の堀とする平城であった。古川は一部河道が失われ三日月湖のようになっている。
遺構はほとんど無いが、二の丸(後に会所)跡南に石垣が残されている。
【案内】 阿蘇公民館(表記番地)の駐車場に城跡碑(文字盤の下部のみ残る)、説明板が建てられている[マップコード256 785 666*02]。
阿蘇公民館から西の市立体育館にかけてが本丸跡で、北側に蛇行した旧河道が堀の役目を果たしたと思われる。
【歴史】 築城時期は天文年間(1532~55年)の頃と伝えられ、天正十四年(1586年)薩摩の島津氏による阿蘇侵攻で落城した。
豊臣秀吉の天下統一で加藤清正が肥後に入国し、家臣の加藤右馬允可重を初代とした城代3人が赴任した。
江戸時代、元和元年(1615年)一国一城令により廃城となった。加藤家に替って肥後藩主となった細川家は、本丸跡に参勤交代で宿泊するための内牧御茶屋を設置した。