津森城 (つもりじょう) (下陳城 )(しもじんじょう)
最寄地 熊本県上益城郡益城町下陳412 2019.12.8
津森城 (つもりじょう) (下陳城 )(しもじんじょう)
最寄地 熊本県上益城郡益城町下陳412 2019.12.8
登城ルート(緑線は車道)
配置図(左が北)
南東登り口
2郭
堀切
主郭切岸・北郭
主郭
西の郭・段郭
南側道路横の下陳城標柱・石垣
津森城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 益城町下陳の東から西へ伸びた標高121mの尾根先端に築かれている。
主郭は東西に細長く東側が櫓台の様に高くなり大きな岩が点在している。主郭の東に堀切と竪堀があり北側と南側(2郭)下段に夫々広い郭がある。
一方、主郭の西に2つの段郭があり、登り口の標柱が建てられ石垣も見られる。そこから説明板の所に至る道があるが、柿畑のためこちらから登るのは避けた方が良い。配置図は方向が間違っているようだ。
【案内】 県道28号線より津森小学校脇を経て、下陳地区に向かう。周辺の道は狭く、曲がりも多い。ルート図の車道を通り、[マップコード29 477 385*70]より行った表記番地先に説明板が建てられ林道入口付近に駐車できる[マップコード29 478 243*85]。
林道を50m程行った左手に登り口がある(地図)。そこから登り右方向に行くと堀道があり堀切、竪堀に続いている。その左に主郭がある。
【歴史】 室町時代の嘉吉年間(1441~44年)阿蘇惟忠から任命された光永氏が築城したと云われる。
光永氏の所領は100町前後、家臣80名程度で城主としては、三郎・対馬・惟宗・惟助の名が古文書に見られる。
文明十七年(1485年)幕の平合戦が行われた。
天文十九年(1550年)菊池義武軍が津森城を攻撃した。同年七月大友軍が津森城を攻略した。
永禄五年(1562年)光永氏と木山氏の戦いがあった。
天正九年(1581年)響が原の戦いが起きた。
天正十三年(1585年)光永惟助の時、島津軍に攻略され惟助は戦死した。
天正十四年(1586年)光永氏は津森城奪回の戦いに敗れた。