野間城 (のまじょう)
所在地 大阪府豊能郡能勢町野間中/間稲地 2022.3.15
野間城 (のまじょう)
所在地 大阪府豊能郡能勢町野間中/間稲地 2022.3.15
登城ルート
稲生大明神の鳥居から登る
北の郭・主郭切岸
主郭・櫓台
白髭稲生社跡
南側の大堀切
野間城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高80m】
【感想】 能勢町野間稲地と野間中の境にある標高約356mの尾根先端部に築かれている。
主郭北に2段、北東に3段の郭があり、主郭南の櫓台には白髭稲生社跡があり、南背後の大堀切は見応えがある。
【案内】 府道4号線「野間中」交差点より南に行った圓珠寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード52 370 721*16]。
圓珠寺の対岸の「ノセクリンセンター」東の坂道を約90m行き、東に60mほど行き、右折すると野間氏居館の虎口に着く。
居館跡の西側の道より南の空堀横を通ってゆくと、稲生大明神の鳥居があり、そこから城跡へはっきりした道が続いている。
【歴史】 仁安三年(1168年)に多田源氏の流れを汲む野間高頼によって築かれたと伝わる。
野間氏は、摂津能勢地方において同族の能勢氏、余野氏と共に能勢三惣領の一つとされている。
南北朝時代の城主は内藤満幸で、その娘は南朝側の楠木正成の長男楠木正行に嫁いだ。満幸が北朝側の高師直に寝返ったため離縁され、摂津池田氏の池田教依に嫁ぎ直したとされる。
天正年間(1573~92年)には高頼の後裔野間豊後守資持が在城していたと伝わっている。『ウィキペディア』より。