白巣城 (しらすじょう) (三野畑城) (市の史跡)
最寄地 兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑900 2017.9.21
白巣城 (しらすじょう) (三野畑城) (市の史跡)
最寄地 兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑900 2017.9.21
登城ルート(青は東ノ丸/赤は本丸/緑は西ノ丸)
ゲート
東ノ丸・土塁
東ノ丸本丸間の堀切
本丸・社
西ノ丸・城跡碑
白巣城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m(ゲートから)】
【感想】 東西約300m南北約350mの規模を持つ淡路島最大級の規模を誇る。
中央に本丸、北東に東ノ丸、西の標高334mの山頂に西ノ丸と3つの主要曲輪を配置し、夫々堀切で隔てられている。東ノ丸や馬つなぎ場に土塁が残っている。
【案内】 市道に面した(表記番地)(地図)より舗装された林道を1.2km行くと、ゲートがある[マップコード210 459 390*62]。
ゲートを開け閉めして狭い舗装道を(木の枝や落石をどかしながら)約900m行くと駐車場がある[210 459 192*17]。
その南の舗装道を登り、左に行くと、米倉があり、堀切を経て、細長く2段になった東ノ丸がある。
西に米蔵を挟んで、堀切があり、少し登ると左に「馬つなぎ場」があり、高い土塁がよく残っている。
その上段の鞍部の左に本丸があり、社が祀られている。鞍部の平坦地を挟んで西ノ丸があり、城跡碑、安宅冬秀公の石碑が建てられている。
東ノ丸からは大阪湾、西ノ丸からは淡路島の山々や集落、遠く瀬戸内海の絶景が望める。
平成二十四年(2012年)3月29日、洲本市の史跡に指定された。
【歴史】 永正十六年(1519年)淡路守護細川家が三好氏に滅ぼされた後、淡路島は三好氏の勢力下に入った。
国人の中で最大の勢力を誇った安宅氏(あたぎし)は、淡路各地に城を構え「安宅八家衆」と呼ばれた。白巣城には安宅九郎左衛門冬秀が居住したといわれる。
天正九年(1581年)、羽柴秀吉による淡路攻めで、3日間で陥落し、国人衆は秀吉軍に降伏した。その中で、白巣城主は唯一抵抗し、秀吉軍の火攻めで炎上し落城した。その後、廃城となったと考えられる。