関津城 (せきのつじょう)
最寄地 滋賀県大津市関津3-12-15 2016.12.25
関津城 (せきのつじょう)
最寄地 滋賀県大津市関津3-12-15 2016.12.25
入口
平坦地
竪堀
国道422 号バイパス
関津城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 団地の東側、周囲に柵がしてあったがせっかく来たので、思い切って見てみた。土塁で囲まれた主郭などは見当たらないが、バイパス工事(未開通)で消滅したのだろう。主郭西側の畝状の竪堀が残っていた。
瀬田川を跨ぐ国道422号線の橋梁工事が行われていた。
【案内】 関津3丁目の住宅団地の東側、行き止まり道路の先に入口がある[マップコード148 305 628*01](地図)。
入口より東に行くと、平坦地がある。その東に空堀が大きく2条、枝を入れると3条見られた。最高所の突き当りは、土塁上の高まりがあり、国道4422号線バイパス道路の切通しとなっていた。
【歴史】 財団法人滋賀県文化財保護協会では、大津市関津の関津城遺跡の近接地において、国道422 号大石東バイパス道路改築工事が計画されたことから、平成21 年8月から発掘調査を実施しています。
関津城は、承久3年(1221 年)の承久の乱後、佐々木六角氏の旗頭青地氏に属する宇野氏が代々、居城を構えたといわれている。
宇野氏は、承久3年(1221 年)の承久の乱の際、清和源氏の流れをくむという宇野源太郎守治が戦功をたてたことから、恩賞として鎌倉幕府から関津城を与えられたといわれている『財団法人滋賀県文化財保護協会 関津城遺跡現地説明会資料(2010・8・8)』より。