鳥屋城 (とやじょう) (石垣城・外屋城・外山城)
最寄地 和歌山県有田郡有田川町中井原252 2018.7.14
鳥屋城 (とやじょう) (石垣城・外屋城・外山城)
最寄地 和歌山県有田郡有田川町中井原252 2018.7.14
登城ルート(緑線は車道)
登り口
主郭
主郭2郭間の堀切
2郭・土塁・社
2郭南帯郭下段の石垣
山頂の郭・三角点
鳥屋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 有田川町の標高304mの鳥屋城山を中心に、西側尾根に2つの主要郭が築かれている。北側に土塁が残り、郭間に堀切や石垣が一部残っている。
遊歩道が整備され、ハイキングコースとなっており、主郭からの眺望は素晴らしい。
【案内】 国道424号線「中野」交差点より金屋中学校(表記番地)に向かい、東側道路の階段より登る[マップコード146 526 196*30](地図)。南側の配水施設先に駐車できる。
約1.1kmの遊歩道が設けられ、600m、400m、200m地点に道標が立てられている。
主郭は西の標高約300mの尾根にあり、南に帯郭がある。堀切で隔てて2郭があり倒壊しかかった社がある。南の帯郭下段に石垣が残っている。
標高304mの山頂部分も広い曲輪が段々と連なる。
昭和三十四年(1959年)8月18日、和歌山県の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は定かでないが、『花栄三代記』には、永和五年(1379年)南朝征伐の為、山名義理(よしまさ)が石垣城を攻め落としたと記され、南朝方の拠点であったことが窺われる。
その後、室町時代には畠山氏が紀伊国守護として入国し、畠山氏や城代の神保氏が治め、守護方の一拠点として重要な役割を果たした。
天正十三年(1585年)、羽柴秀吉の紀州攻めで、落城した。『金屋町誌』や地元での言い伝えによると、家臣の神保氏はすでに秀吉に内通しており、その進言により開城したと伝えられている。