増永城 (ますながじょう) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市七城町砂田2546 2016.5.12
増永城 (ますながじょう) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市七城町砂田2546 2016.5.12
城址碑・説明板・五輪塔
土塁
井戸跡
若宮八幡宮
西郷氏発祥地碑
増永城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 菊池十八外城(とじょう)の一つ。県道139号線の表記番地南に「菊池西郷南洲公園」駐車場が用意されている[マップコード175 196 507*58](地図)。
公園奥に土塁の一部と井戸跡が残り、城址碑、説明板が建てられ、「西郷さんの墓」と呼ばれる五輪塔が祀られている。
若宮神社の境内に、徳富蘇峰の書による「西郷南洲先生祖先発祥之地」の石碑が建てられている。
西100m位のところに地蔵院があり、西郷家の菩提寺であったと伝えられている。
北東の羽根木八幡は則隆、砂田若宮神社は政隆の勧請と云われている。
【歴史】 菊池十八外城の一つ。菊地氏初代則隆の子・太郎政隆が築いた平城で、土地の名に因んで西郷氏を称した。その後、西郷氏代々の居城として、迫間川を擁し、台城・正光寺城と連携して、玉名・熊本方面からの侵入に備えていた。
第26代西郷九兵衛昌隆の時、薩摩に移り住んだという記録があり、32代が明治維新で活躍し、西南戦争の薩摩軍の将・西郷隆盛(生涯の内、安政六年から3年余、鹿児島県大島郡龍郷町に居住。このとき「菊地源吾」と名乗る。)であった。