玖島城 (くしまじょう) (大村城)
所在地 長崎県大村市玖島1丁目 2014.9.6
玖島城 (くしまじょう) (大村城)
所在地 長崎県大村市玖島1丁目 2014.9.6
駐車場・南側本丸石垣
桝形・石垣
二の丸跡
二の丸・板敷櫓
大村藩お船蔵跡
玖島城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 城は大村湾に面した半島に築城された平山城で、天守は建造されなかった。
現在は大村公園となっており、国道34号線「市役所前」交差点西に大村公園駐車場が用意されている[マップコード44 820 459*45]。
本丸石垣、二の丸石垣が現存し、二の丸の南西に板敷櫓・塀が復元(1992年)されている。天然記念物のオオムラザクラや南側の堀の周辺に菖蒲など季節折々の花が咲いている。
本丸跡は大村神社や玖島稲荷神社の境内となっており、築城者である大村喜前の遺徳碑や最後の藩主・大村純凞(すみひろ)公の銅像がある。日本さくら名所百選に選定されている。
西の大村湾に面してお船蔵跡(地図: 藩主が使用した御座船等の藩の船を格納)が、昭和四十四年(1969年)4月21日、長崎県の史跡に指定された。
【歴史】 藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。
天正十五年(1587年)、時の領主であった大村喜前(よしあき)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、秀吉軍に参陣し領土を安堵された。
喜前はキリシタン大名であったが、秀吉の圧力により改宗した。慶長三年(1598年)の秀吉死後、政情不安に備えて玖島城の築城を開始し、翌年、三城城(玖島城の北北東約2㎞)から居城を移した。
江戸幕府開府後も領有し、大村藩(2万7千石)として明治維新まで存続し、城はその藩庁としての役割を果たした。
慶長十九年(1614年)より純頼によって拡張・改修され、この際、加藤清正により設計指導を受けたとされる。美しい扇の勾配をもつ石垣が見られる。
明治維新後、明治四年(1871年)に廃城となり、建造物は破却された。明治十七年(1884年)、本丸跡に大村氏歴代を祀る大村神社が建立された。