梶峰城 (かじみねじょう)
最寄地 佐賀県多久市多久町西ノ原1970 2020.3.12
梶峰城 (かじみねじょう)
最寄地 佐賀県多久市多久町西ノ原1970 2020.3.12
登城ルート
1条目の堀切
3条目の堀切
6条目の堀切
北の郭
南の郭・土塁
南の郭南東側の大堀切
梶峰城 南郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高150m】
【感想】 多久町西ノ原の標高191mの梶峰山に築かれている。
雄城から続く尾根に6条の堀切があり、5条目は2重堀切となっており、見応えがある。
北の郭と南の郭の間に片堀切があり、雌城に続く南東下段に大堀切がよく残っている。
【案内】 多久神社(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード104 626 483*31]。
駐車場の南東に「←梶峰山」の標識があり、そこから南東の尾根に続く遊歩道が設けられている。
尾根から北に行くと梶峰城雄城がある。南に行くと6条の堀切を経て梶峰城がある。
大堀切より尾根を南東へ約150m行くと、雌城がある。
【歴史】 津久井氏を祖とする多久氏は、当初南多久の館に拠ったが、建久四年(1193年)頃、多久宗直が梶峰城と砦、居館を築いた。
以降350年以上にわたり多久氏が居城としたが、天文十三年(1544年)に龍造寺周家に攻められると当主・多久宗時は逃亡して周家が城主となった。
翌年、有馬氏の支援を受けて多久氏が当城に復帰したが、永禄五年(1562年)に龍造寺隆信・長信に再び攻められて須古に移った。
その後、龍造寺長信が城主となり、天正十五年(1587年)に豊臣秀吉より多久藩主に任ぜられた。
やがて慶長五年(1600年)に廃され、多久藩は鍋島藩内の多久邑となった。