平田城 (ひらたじょう) (白米城 )(まつたけじょう) (市の史跡)
最寄地 大分県中津市耶馬溪町大字平田987 2015.5.13
平田城 (ひらたじょう) (白米城 )(まつたけじょう) (市の史跡)
最寄地 大分県中津市耶馬溪町大字平田987 2015.5.13
縄張り図
東階段・城址碑
南台石垣
南台・忠霊塔
北台
北台石垣
平田城 南台跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m】
【案内・感想】 国道212号線(日田往還)の平田郵便局前交差点より西に橋を渡って約400m行くと、表記番地先に駐車場が用意され、説明板が建てられている[マップコード145 182 356*47]。
西に登り左折すると南台がある。比高約50mの南台には城址碑、忠霊塔が建てられ、全周に石垣が残り、特に北側斜面に良く残っている。北側斜面の下段に5つほどの郭が東西に並んでいる。
駐車場より西に150mほど行き北に直登すると北台(地図)がある。北台には6つの郭が東西に並び、西より3つ目の郭に石垣が残り、その北側に井戸がある。
中津市の史跡に指定されている。
【歴史】 平田城は別名白米城(まったけじょう)ともいい、建久年間(1190~99年)長岩城主野仲重房により築城されたと伝えられている。
天正年間(1573~92年)前半には平田掃部介(かもんのすけ)が城番として居城していた。
天正十五年(1587年)黒田官兵衛が豊前国6郡を拝領し入国すると、野仲鎮兼はこれに反抗し家臣と共に長岩城に立て籠もった。
黒田勢は長岩城を攻め落とし、官兵衛は戦功のあった栗山備後守利安に野仲氏の旧領6千石を与えた。
栗田備後は平田城主となり、城を改修し現在もこの時築かれた石垣の一部が残っている。
「黒田騒動」で名高い栗山大膳(栗山備後の長子)はこの城で少年期を過ごしている。『中津市教育委員会説明板』より。