安岐城 (あきじょう) (市の史跡)
所在地 大分県国東市安岐町下原下原3102 2019.5.4
安岐城 (あきじょう) (市の史跡)
所在地 大分県国東市安岐町下原下原3102 2019.5.4
説明板
天満社入口・標識
土塁上の参道
本丸
天守台の天満社
北側内堀
安岐城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 安岐川左岸河口の台地に築かれ、天守台に天満社が建てられ、北側に幅広の内堀が残っている。
内堀の南の大土塁が参道となっている。本丸跡には民家が建っている。
墓石のような城跡碑があるというが見落した。
【案内】 国道213号線より西に100m行った「古城天満神社」(表記番地)が安岐城天守台跡とされる[マップコード265 177 526*53]。道幅が広くその先に路駐した。
平成十五年(2003年)11月17日、国東市の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代田原氏が安岐郷に入り居館を築いたのが始まりとされる。
室町時代、田原親宏は豊後から追放されており、天文十九年(1550年)大友義鎮(宗麟)の治世となり、周防に亡命中の田原親宏の帰国が許され、安岐・国東郷の政所職を与えられた。
天正八年(1580年)田原親宏の跡目問題で、大友宗麟は次男親家に家督を継がせようと画策した。養子の親貫は毛利氏の援軍を得て対抗し、約9ヶ月に及ぶ大友軍との戦いが行われ、安岐城が攻められ落城した。
文禄二年(1593年)豊臣秀吉により大友義統が改易され、熊谷直陳が入り、城郭を全面的に改修した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで直陳は西軍に参陣したが、戦死した。