朝倉城 (あさくらじょう)
最寄地 兵庫県養父市八鹿町朝倉703 2015.5.16
朝倉城 (あさくらじょう)
最寄地 兵庫県養父市八鹿町朝倉703 2015.5.16
登城ルート(赤が主郭/緑が二郭)
登り口向かいの朝倉氏宝篋印塔
主郭・櫓台
主郭南堀切
二郭
二郭南堀切
三郭
三郭南堀切
朝倉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 養父市八鹿町朝倉の標高152mの山頂に築かれている。
主郭跡は樹木が伐採され、遠くからでもそれと良くわかる。主郭は東が広く中央に櫓台と思われる高台がある。
主郭南に大堀切がよく残っており、二郭、堀切、三郭、堀切と並んで尾根につながっている。
【案内】 国道9号バイパスより県道271号線を南下し橋を渡って約480m行った所に「朝倉氏宝篋印塔」があり、神社に駐車できる。横に説明板、登り口がある[マップコード194 181 561*67](地図)。
墓地横を通って獣除けフエンス(開け閉め)を抜け比高約90mの山頂に主郭跡がある。
昭和四十三年(1968年)7月31日、養父市の史跡に指定された。
【歴史】 戦国大名として越前国を治めた朝倉氏の発祥の地である。孝徳天皇の皇子・表米親王を始まりとし、平安時代末期に地名を苗字として朝倉氏が興り、源頼朝の御家人となった朝倉高清を初代とし、建久五年(1194年)に朝倉高清が源頼家から但馬国を与えられ朝倉城を築城した。
一族からは八木氏、宿南氏、奈佐氏等の多くの武将を輩出した。高清の長男・安高は八木氏を興し、次男の信高が朝倉氏を継いたが、承久の乱で信高は敗れた京方に付いたため朝倉氏は衰退した。
このため八木安高の孫・高実が朝倉氏を継いだ。天正五年(1577年)頃、朝倉大炊が城主の時、堀切や竪堀を改修した。
室町時代には但馬守護の山名氏に仕えたが、戦国時代に織田信長に敗れた。