姫倉城 (ひめくらじょう)
所在地 高知県香南市香我美町岸本1296-7 2018.3.8
姫倉城 (ひめくらじょう)
所在地 高知県香南市香我美町岸本1296-7 2018.3.8
登城ルート(緑線は車道)
登り口・堀切(トイレ)
2郭
主郭
北西側尾根の堀切・社
土御門上皇仙跡碑・歌碑
姫倉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 太平洋を望む標高68.8mの月見山に築かれており、県立「月見山こどもの森」の内、南西側の「史跡の森」と呼ばれる公園となっている。
主郭には浅い土塁が残り、社の建つ北西尾根と、トイレのある北東尾根に堀切が残っている。
【案内】 国道55号線より県道221号線に入り100m行くと左に「月見山こどもの森管理事務所」(表記番地)へ向かう車道入口がある[マップコード73 149 283*26]。
そこより舗装道の途中に「姫倉城古戦場跡」の石碑があり、登り詰めた城跡の北東に駐車できる[マップコード73 149 319*16]。
トイレの建っているところが堀切で、遊歩道を登った月見山北東下段に2郭があり、頂上に主郭がある。
また、100mほど北に行くと、承久の乱(1221年)で当地に左遷された土御門上皇の仙跡碑や、「かがみのや たがいつはりの名のみして こふるみやこの かげもうつらず」の歌碑が建てられている。上皇は西麓の常楽寺(現宝幢院:香我美町岸本940)に皇居を構えたといわれる。
【歴史】 築城年代は定かではない。 安芸氏の武将姫倉右京が城主であったが、永禄十二年(1569年)長宗我部元親によって攻撃され落城した。家臣長宗豊前守が城主となり姫倉氏を名乗った。
天正十四年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐の豊後国戸次川の戦いで姫倉豊前守が討死すると、子の太郎右衛門が城主となった。
その後、元親は家臣の持城の破却を命じ、廃城となった。