白木陣屋 (しらきじんや)
最寄地 大阪府南河内郡河南町白木447 2022.3.16 11.4
白木陣屋 (しらきじんや)
最寄地 大阪府南河内郡河南町白木447 2022.3.16 11.4
説明板
陣屋跡
東側石垣
東側石垣(続き)
移築陣屋門
白木陣屋跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 現在空き地となって建物はないが、東側に高石垣がよく残っている。
【案内】 府道27号線の信号交差点より東に行った表記番地東にあり、空き地となっている[マップコード36 541 074*13]。
隣に門があるがそれは陣屋とは関係なく、陣屋表門は千早赤阪村の民家に移築されている[マップコード10 419 129*15](地図)。
【歴史】 石川総長(ふさなが)は、万治三年(1660年)大阪城番に任命され、神戸藩に加えて河内国石川郡内に一万石を与えられた。
翌寛文元年(1661年)高台に役所(白木陣屋)を築き、領主に代わって代官がこの地を治めた。
享保十七年(1732年)石川氏は総長の孫、総茂の代に常陸国下館藩(下館城)に移されたが、河内の領地はそのまま残り、幕末までこの役所は使用された。
陣屋の敷地はしばらく郷学校として使用されたのち表門は移築され 、現在は開墾され石垣だけが残っている。