芥川城 (あくたがわじょう)
最寄地 大阪府高槻市殿町8-2 2017.3.25
芥川城 (あくたがわじょう)
最寄地 大阪府高槻市殿町8-2 2017.3.25
城跡
芥川城址石碑
芥川城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 付近の道路は狭く、宅地となっている。その中、石垣のある邸宅の南側に城址碑を見つけることが出来た。歩いてみたが遺構は見当たらなかった。
【案内】 淀川へ注ぐ芥川の東に位置し、表記番地の民家南側の生垣の間に「芥川城址」の石碑が建てられている[マップコード52 058 850*44]。
【歴史】 芥川城は芥川氏によって築城されたと思われている。芥川氏の本拠地は平安時代の芥川宿であり、鎌倉時代には幕府の御家人となり、この前後に築城したと思われている。
その後、芥川氏の成長と共に城も拡大を繰り返し、南北朝時代には相当な地域へ拡張したと思われる。
しかし、応仁の乱で芥川氏は西軍の軍門に降り、その後摂津国人一揆が細川政元による鎮圧でこの地域の国人が没落したことからか、芥川本家は歴史から名を消してしまう。
再び芥川の地を細川高国の命をうけ、能勢頼則が再建に動き出すことになる。永正十三年(1516年)には芥川山城を築城し、芥川城は平時の居館として活用されていたという説もある。