能島城 (のしまじょう) (国の史跡)
最寄地 愛媛県今治市宮窪町宮窪1293‐2 2014.5.15 2020.2.10 2021.9.18
能島城 (のしまじょう) (国の史跡)
最寄地 愛媛県今治市宮窪町宮窪1293‐2 2014.5.15 2020.2.10 2021.9.18
左より本丸・船着場・出丸
南西側低地・三の丸(四阿)
三の丸・四阿
三の丸より二の丸本丸を見る
本丸
二の丸 (奥が本丸)
堀切・矢櫃
出丸・鯛崎島出丸
南の鯛崎島出丸
能島城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 大島と鵜島の間にある能島に築かれた村上水軍の城で、三角形の島の中央に本丸、西に三の丸、東に二の丸が並んでいる 。
二の丸の東に堀切、矢櫃、南に出丸が配置されている。また南の鯛崎島も出丸として利用されていた。
本丸西側の低地の石垣は昭和になってから積まれたとのことで、草刈りなどの保全作業も行われ小奇麗な佇まいを見せている。
【案内】 しまなみ海道「大島北」ICより東に国道317号線を1.5㎞行き右折、県道49号線を南に1.5km行くと「能島水軍の里」(表記番地)がある。
「能島水軍の里」の村上水軍博物館に能島城跡の発掘出土品や村上水軍にまつわる物品が展示されている。
海側にある食堂「村上水軍」からの定期船が運行されている[マップコード381 280 833*34]。
10名以上で催行され電話予約も可能であるが、詳細は「能島城跡上陸&潮流クルーズ」をご覧ください。
能島に近づき付近の潮流体験や上陸してガイドさんに城跡に関する事を説明してもらえる。
昭和二十八年(1953年)3月31日、国の史跡に指定されている。1973年に愛媛県教育委員会は「能島水軍の里」を設置した。その後もたびたび文化財調査等が行なわれている。
【歴史】 中世、村上水軍の一派、能島水軍(野島氏)が水軍城を設けた。
この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の最も重要な航路の一つであった。しかも宮窪瀬戸の東側で能島と鵜島とが流れをさえぎるような位置関係であることから、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。
このため、平時には通過する船に対して水先案内人として行き交う船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を徴収、室町期以降この地に能島城を築き、この海域の制海権を掌握していた。 能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに参戦したが敗北を喫し、秀吉の海賊停止令により、水軍の歴史は終わりを告げた。
能島城は廃城となり、江戸時代以降無人島となったため、その城塞遺構はよく保存されている。