福岡城 (ふくおかじょう) (舞鶴城・石城) (国の史跡・日本100名城85)
所在地 福岡県福岡市中央区城内 2013.6.9 2014.5.3
福岡城 (ふくおかじょう) (舞鶴城・石城) (国の史跡・日本100名城85)
所在地 福岡県福岡市中央区城内 2013.6.9 2014.5.3
下之橋御門・堀
大手櫓門
潮見櫓
本丸石垣
天守台石垣
南の丸多聞櫓
南隅櫓・石垣
福岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 国体道路「護国神社前」交差点の北に有料駐車場がある[マップコード13 285 509*32](地図)。
「大手門」交差点へ続く道路の東に、南より本丸、二の丸、三の丸(舞鶴公園平和台陸上競技場)と並んでいる。
北西に潮見櫓と大手櫓門が復元され、その北に下之橋の石橋と堀が残っている。
陸上競技場の南の石垣の上に二の丸があり舞鶴公園として開放され、桜の名所である。南に高石垣の本丸があり、さらに登っていくと天守台があり、天守の礎石が残っている。
二の丸北隅櫓が残り、また二の丸南郭に国の重要文化財で、二重の南隅櫓につながる30間の平櫓で構成された多聞櫓(嘉永六年築)がある。西側に沼地の堀が、現在大濠公園となっている。
昭和三十二年(1957年)8月29日、国の史跡に指定された。
昭和四十六年(1971年) 多聞櫓・二の丸南隅櫓が国の重要文化財に指定された。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(85番)に選定された。
【歴史】 慶長五年(1600年)黒田孝高(官兵衛、如水)・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から一躍、筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。
福崎丘陵を新城に決め、慶長六年築城を開始、慶長十二年(1607年)竣工した。
以後、初代藩主黒田長政より12代藩主・黒田長知まで代々の藩主の居城として明治維新まで続いた。
幕末の嘉永・万延年間に大改修が行われた。
明治六年(1873年)の廃城令では存城処分となったが、第六軍官に属し多くの建物が解体もしくは移築された。