不動ガ嶽城 (ふどうがだけじょう)
最寄地 鳥取県日野郡日野町中菅214 2022.10.14
不動ガ嶽城 (ふどうがだけじょう)
最寄地 鳥取県日野郡日野町中菅214 2022.10.14
南東遠景
フエンス開口部から登る
南郭
主郭
不動ガ嶽城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高40m】
【感想】 黒坂鏡山城と日野川を挟んだ南の独立丘陵に築かれており、鉄塔付近が主郭で、南に堀切を挟んで南郭がある。
隈笹や草木が多く茂っており、堀切は撮影できなかった。途中に作業道があったかどこにつながっているのか分からなかった。
【案内】 県道210号線の表記番地北に駐車した[マップコード418 706 529*05]。
民家から、北に歩き山裾のフエンス開口部から直登した(地図)。
【歴史】 『陰徳太平記』によると、大永四年(1524年)大永の五月崩れによって当地は尼子氏領となった。
永禄七年(1564年)、毛利方の三村家親、香川光景らが、尼子氏の本拠地月山富田城の後背地である当城を攻めた。尼子義久は家臣の福山肥後守に命じ、不動ガ嶽麓の如来堂に夜討ちをしかけたが、撃退できず退いた。
当城は毛利氏に落ち、永禄九年(1566年)には尼子氏も滅ぶことになる。この後、三村家親は法勝寺城に移ったと伝えられる。『ウイキペディア』より。