和佐山城 (わさやまじょう)
最寄地 和歌山県和歌山市禰宜148 2018.7.14
和佐山城 (わさやまじょう)
最寄地 和歌山県和歌山市禰宜148 2018.7.14
登城ルート
北尾根の板碑(右へ)
北側堀切
帯郭
主郭・南北に走る仕切り土塁
主郭南堀切
和佐大八郎の墓(右)
和佐山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高230m】
【感想】 和歌山市禰宜の標高255.2mの城ヶ峯に築かれ、北側に堀切、虎口を開き、藪化した主郭がある。南側に4条の浅い堀切が残っている。
当日は史上まれにみる猛暑で、気温も37℃ほどあり汗だくになりながら、神社参詣は諦め、城跡を急いで見て回った。城跡は意外と藪も少なく、堀切なども地面が見られ全体が把握できた。
【案内】 県道9号線より中筋家住宅(表記番地)横を東に500mほど行った高積神社下ノ宮の西側に駐車できる[マップコード35 225 656*45]。但し民家出入口があるので北隅に寄せておく。
そこよりコンクリート舗装道と階段の参道を約850m登ると、石塔婆のある分岐に着く。左に行くと高積神社上ノ宮に至り、右に、2つのピークを越え約500m行くと城ヶ峯に至る。
堀切の南に、周囲に帯郭を伴った主郭がある。南に堀切、曲輪、堀切、小郭があり浅い2重堀切が残っている。
県道9号線横には、江戸時代の弓の達人・和佐大八郎範遠(1663~1713年)の墓入口がある[マップコード35 195 882*26](地図)。
【歴史】 南北朝時代の延文元年(1356年)、紀伊国守護畠山尾張守義深によって築城されたという。
紀伊国は南朝方に属する武将が多く、北朝方の畠山氏を敵視して紀伊各地で戦いを繰り広げ、守護として落ち着くことはなかったという。
築城後に龍門山に布陣した南朝方の四条隆俊(隆資の子、中納言)方に対し、畠山氏は和佐山に布陣して戦いを有利に展開させて南朝方を敗走させている(龍門山の戦い)。『ウィキペディア』より。