新宮支城 (しんぐうしじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県甲賀市甲南町新冶 2017.2.3
新宮支城 (しんぐうしじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県甲賀市甲南町新冶 2017.2.3
登城ルート(緑色は新宮支城/赤色は新宮城)
新宮支城登り口・標柱
東の曲輪・土塁
主郭虎口・土塁
主郭・土塁
空堀
新宮支城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 一辺約50m四方の主郭に高さ5~6mの土塁を巡らせ、深い堀切、空堀がよく残っている。南側に虎口が開いている。
【案内】 県道49号線の新名神高速道路をくぐり、北へ約650m行くと左に「新宮支城」の碑が建てられ登り口となっている[マップコード453 274 628*26] (地図)。北に30mほど行くと、新宮城登り口がある。
平成二十年(2008年)7月28日、「甲賀郡中惣遺跡群」として、国の史跡に指定されている。寺前城跡・村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡がある。
【歴史】 戦国時代の永禄年間(1558~70年)頃、織田信長の近江侵攻を背景に、甲賀武士は連合して「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」という組織を作り、地域を支配していた。その城館の1つである。
甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍したが、元亀元年(1570年)野洲川の戦いで敗北し、信長の配下に入った。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えた。