高尾山城 (たかおやまじょう) (茶臼城) (坂町の史跡)
最寄地 広島県広島市安芸区矢野南3丁目21−6 2022.11.5
高尾山城 (たかおやまじょう) (茶臼城) (坂町の史跡)
最寄地 広島県広島市安芸区矢野南3丁目21−6 2022.11.5
登城ルート
登り口
北の郭
主郭へ
主郭・城跡碑・説明板
南西の郭
高尾山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 坂町と矢野町の境にある標高約231mの高尾山に築かれており、坂町では高尾山城、矢野町では茶臼城と呼ばれている。
主郭は南北に細長く、北側に大きな石積みがあり、その右に井戸跡の窪みがみられた。また北側と南西側下段に曲輪が残っている。
【案内】 「安芸矢野ニュータウン」にある表記番地北にごみ置き場があり、そこに駐車した[マップコード22 018 518*62]。南山側擁壁の梯子より登ってゆくとすぐ、坂町からの遊歩道に出る(地図)。
鉄塔を経由し整備された遊歩道を約550m登ると山頂に着く。
平成四年(1992年)7月20日、坂町の史跡に指定された。
【歴史】 荘園時代、惣公文中原惟道(矢野氏)が築城したという説がある。
建武二年(1335年)十二月、足利尊氏方の安芸国守護・武田信武(銀山城主)に抗し、矢野城に立て籠もった後醍醐天皇方の熊谷直行四郎入道蓮覚は高尾山城を支城として用いたが落城した。
室町時代、文安二年(1445年) には、野間氏が地頭職として矢野郷に入部した。文明二年(1470年)高尾山城を居城とした野間興勝は安芸国有力国衆として、周防国で絶大な勢力であった大内氏の信頼を得ていた。
天文二十年(1551年)、陶晴賢による大内義隆への謀叛以後、陶氏方の立場をとる野間氏と、陶氏討伐の立場の毛利氏との関係に暗雲が立ち込める。
天文二十四年(1555年)四月十一日、野間隆則は毛利軍の大軍に攻められ落城した。